東京地方裁判所 昭和50年(ワ)829号 判決 1987年3月30日
第一事件及び第二事件原告、第三事件反訴被告(以下「原告」という。)
松岡高義
第一事件被告、第三事件反訴原告(以下「被告」という。)
株式会社アド建築設計事務所
右代表者代表取締役
荒川純一
第一事件被告、第三事件反訴原告(以下「被告」という。)
荒川純一
第二事件被告(以下「被告」という。)
佐藤隆男
第二事件被告(以下「被告」という。)
宮内政雄
第二事件被告(以下「被告」という。)
藤井正三
右被告ら訴訟代理人弁護士
山本忠義
同
泉信吾
右訴訟復代理人弁護士
木村政綱
同
藤川元
被告株式会社アド建築設計事務所及び同荒川純一訴訟代理人弁護士
山本剛嗣
同
浅香寛
被告株式会社アド建築設計事務所訴訟代理人弁護士
宮良哲彦
被告株式会社アド建築設計事務所及び同荒川純一訴訟復代理人、
寺島秀昭
同佐藤隆男、同宮内政雄及び同藤井正三訴訟代理人弁護士
被告佐藤隆男、同宮内政雄及び同藤井正三訴訟代理人弁護士
伊藤茂昭
主文
一 原告の別紙請求目録記載の請求をいずれも棄却する。
二 原告のその余の請求に係る訴えをいずれも却下する。
三 被告株式会社アド建築設計事務所及び同荒川純一の反訴請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用(反訴費用を含む。)はこれを六分し、その一を被告株式会社アド建築設計事務所及び同荒川純一の負担とし、その余は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(第一事件及び第二事件について)
一 請求の趣旨
1 主位的請求
(一) 原告と被告らとの間で、原告が被告株式会社アド建築設計事務所の技術部長として従業員の地位にあることを確認する。
(二) 被告らは、原告に対して、連帯して
(1) 昭和五〇年一月一四日から同年三月二〇日までは、毎月二五日限り金二〇万八〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五一年三月二〇日までは、毎月二五日限り金二四万五〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五二年三月二〇日までは、毎月二五日限り金二六万七〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五三年三月二〇日までは、毎月二五日限り金二九万円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五四年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三一万七〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五五年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三二万一〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五七年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三二万五〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五八年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三三万三〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和五九年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三二万六〇〇〇円の割合による金員
同年三月二一日から昭和六〇年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三二万円の割合による金員
同年三月二一日から昭和六一年三月二〇日までは、毎月二五日限り金三一万八〇〇〇円の割合による金員
以下同様に同年三月二一日から本判決の確定日まで、毎月二五日限り、前年の対応月の金員に、労働大臣官房統計情報部作成の「産業大中分類及び規模別、常用労働者一人平均月間現金給与額、総実労働時間数並びに出勤日数」表の「きまって支給する給与」(規模五~二九人、男子)により、建設業、不動産業及びサービス業の三業種につき前年比を算出し、それから右の三業種の平均前年比を算出し、その平均前年比を乗じた額(一〇〇〇円未満は切り捨てる。)の割合による金員(ただし、右の表が未発表であるために、右の三業種の平均前年比が算出不能の場合は、直近の右の三業種の平均前年比を用いる。)
(2) 右の各金員につき、その支払期日の翌日(毎月二六日)から支払ずみまで、年六分の割合で、昭和五二年四月二〇日、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(3) 右(1)の各金員につき、その支払期日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
(三) 被告らは、原告に対して、連帯して
(1) 昭和五〇年六月三〇日限り金二五万七〇〇〇円
昭和五一年六月三〇日限り金二七万五〇〇〇円
昭和五二年六月三〇日限り金三〇万四〇〇〇円
昭和五三年六月三〇日限り金三二万一〇〇〇円
昭和五四年六月三〇日限り金三一万二〇〇〇円
昭和五五年六月三〇日限り金三〇万七〇〇〇円
昭和五六年六月三〇日限り金三一万五〇〇〇円
昭和五七年六月三〇日限り金二九万一〇〇〇円
昭和五八年六月三〇日限り金二九万六〇〇〇円
昭和五九年六月三〇日限り金二六万六〇〇〇円
昭和六〇年六月三〇日限り金二三万七〇〇〇円
以下同様に本判決の確定日まで、毎年六月三〇日限り、前年の金員に、労働大臣官房統計情報部作成の「産業大分類及び規模別、常用労働者一人平均夏季賞与の支給状況」表の「夏季賞与額」(規模五~二九人、男子)により、建設業、不動産業及びサービス業の三業種につき前年比を算出し、それから右の三業種の平均前年比を算出し、その平均前年比を乗じた額(一〇〇〇円未満は切り捨てる。)の割合による金員(ただし、右の表が未発表であるために、右の三業種の平均前年比が算出不能の場合は、直近の右の三業種の平均前年比を用いる。)
(2) 昭和五〇年一二月三一日限り金三二万三〇〇〇円
昭和五一年一二月三一日限り金三四万五〇〇〇円
昭和五二年一二月三一日限り金三八万円
昭和五三年一二月三一日限り金三八万円
昭和五四年一二月三一日限り金三八万五〇〇〇円
昭和五五年一二月三一日限り金三七万八〇〇〇円
昭和五六年一二月三一日限り金三八万七〇〇〇円
昭和五七年一二月三一日限り金三七万九〇〇〇円
昭和五八年一二月三一日限り金三五万円
昭和五九年一二月三一日限り金三三万一〇〇〇円
昭和六〇年一二月三一日限り金三一万一〇〇〇円
以下同様に本判決の確定日まで、毎年一二月三一日限り、前年の金員に、労働大臣官房統計情報部作成の「産業大分類及び規模別、常用労働者一人平均年末賞与の支給状況」表の「年末賞与額」(規模五~二九人、男子)により、建設業、不動産業及びサービス業の三業種につき前年比を算出し、それから右の三業種の平均前年比を算出し、その平均前年比を乗じた額(一〇〇〇円未満は切り捨てる。)の割合による金員(ただし、右の表が未発表であるために、右の三業種の平均前年比が算出不能の場合は、直近の右の三業種の平均前年比を用いる。)
(3) 右(1)及び(2)の金員につき、その支払期日の翌日から支払ずみまで、年六分の割合で、昭和五二年四月二〇日、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(4) 右(1)及び(2)の各金員につき、その支払期日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
(四) 被告らは、原告に対して、連帯して、
(1) 昭和五〇年一月一四日から本判決の確定日まで一日あたり金三六五六円四〇銭の割合による金員
(2) 右の金員につき、本判決の確定日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員
(3) 右(1)の各金員につき、本判決の確定日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
(五) 被告らは、原告に対して、連帯して、金六五万一一一四円及び
(1) 内金四三四九円に対する昭和四八年九月二六日から
内金四万八三三二円に対する同年一〇月二六日から
内金二万〇四〇七円に対する同年一一月二六日から
内金二万四九五〇円に対する同年一二月二六日から
内金二二四六円に対する昭和四九年一月二六日から
内金二〇一三円に対する同年二月二六日から
内金二〇九九円に対する同年三月二六日から
内金三万八九一一円に対する同年四月二六日から
内金三万七一三〇円に対する同年五月二六日から
内金三万八八四六円に対する同年六月二六日から
内金九万二〇〇〇円に対する同年七月一日から
内金三万三七四〇円に対する同月二六日から
内金三万三三一六円に対する同年八月二六日から
内金三万三二八一円に対する同年九月二六日から
内金二万二四六七円に対する同年一〇月二六日から
内金四万〇三三二円に対する同年一一月二六日から
内金二万二五三八円に対する同年一二月二六日から
内金八万二二〇〇円に対する昭和五〇年一月一日から
それぞれ支払ずみまで年六分の割合で
内金七万一九五七円に対する本判決の確定日の翌日から支払ずみまで年五分の割合で
いずれも昭和五二年四月二〇日、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(2) 右の各内金につき、その付帯請求の金員算出の起算日の前日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
(六) 被告らは、原告に対して、連帯して、金三七〇万三〇〇〇円及び
(1) 内金八八万三〇〇〇円に対する昭和四八年九月一八日から
内金四五万円に対する同年一〇月二六日から
内金三〇万三〇〇〇円に対する同年一二月二三日から
内金三〇万円に対する昭和四九年四月二日から
内金二万五〇〇〇円に対する同年一二月二四日から
内金九四万七〇〇〇円に対する昭和五〇年一月一四日から
内金九万五〇〇〇円に対する同年二月一日から
内金七〇万円に対する同年四月四日から
各支払ずみまで、年五分の割合で、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(2) 右の各内金につき、その付帯請求の金員算出の起算日の前日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
2 予備的請求
(一) 仮に、被告株式会社アド建築設計事務所が原告に対して行った解雇が有効であるとしても、被告らは、原告に対して、連帯して、金一二三〇万円及び
(1) 内金一五万八四四四円に対する昭和五〇年一月一四日から
内金六〇〇〇円に対する同月二四日から
各支払ずみまで、年六分の割合で、昭和五二年四月二〇日、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(2) 内金一五万八七三三円に対する本判決の確定日の翌日から
内金一一九七万六八二三円に対する昭和五〇年一月一四日から
各支払ずみまで、年五分の割合で、昭和五二年四月二〇日、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り、一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(3) 右(1)及び(2)の各内金につき、その付帯請求の金員算出の起算日の前日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
(二) 仮に、原告が請求する金員についてのインフレによる損害の賠償の請求理由がないとした場合には、被告らは、原告に対して、連帯して、右の1の(二)(1)、(三)の(1)及び(2)、(四)ないし(六)の各(1)、2の(一)の(1)及び(2)の各金員について、その支払期限が昭和五〇年四月三〇日までのものは同月の全国消費者物価指数(No)、その支払期限が同年五月一日以降のものはその支払期限の属する月の全国消費者物価指数(No1)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No又はN/No1)から一を減じて得る数値(N/No-1又はN/No1-1)を乗じた額の金員を支払え。
(三) 仮に、主位的請求1(五)の金六五万一一一四円の請求のうち、昭和四八年一一月分から昭和四九年一二月分までの超過勤務手当の合計九万八二七六円及びこれに関する附加金合計四万〇二四三円の請求が理由がないとしても、被告らは、原告に対して、連帯して、金一三万八〇〇〇円及び
(1) これに対する昭和四八年一〇月二六日から各支払ずみまで、年五分の割合で、昭和五三年三月三一日、昭和五四年三月三一日、以下同様に毎年三月三一日限り一年分以上延滞した利息を元本に組み入れる複利式計算方法で算出した金員
(2) 金一三万八〇〇〇円につき、昭和四八年一〇月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額の金員
を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び仮執行宣言を求める。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求める。
(第三事件について)
一 請求の趣旨
1 原告は、被告株式会社アド建築設計事務所に対して金三〇万円、同荒川純一に対して金四〇万円及びこれらに対する昭和五〇年一月一五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決及び仮執行宣言を求める。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決を求める。
第二当事者の主張
(第一事件及び第二事件について)
一 請求原因
1 主位的請求の趣旨第(一)ないし第(四)項について
(一) 被告株式会社アド建築設計事務所(以下「アド」という。)は、建築設計を業とする株式会社であり、同荒川純一(以下「荒川」という。)はその代表取締役、同佐藤隆男(以下「佐藤」という。)及び同宮内政男(以下「宮内という。)はその取締役、同藤井正三(以下「藤井」という。)はその監査役であるところ、アドは、昭和四八年九月一七日に原告を技術部長として雇用した。
(二) アドは、昭和四九年四月一日、原告の技術部長の職を解き技術研究部勤務を命じる降格処分を行い、また、昭和五〇年一月一三日に原告を解雇するに至った。その後、被告らは、原告がアドの技術部長として従業員の地位にあることを否認し、同月一四日以降の原告の就労を拒否しているが、アドのこれらの処分は全く理由がなく無効なものである。
(三) アドは、原告との雇用契約において、原告の賃金について毎年三月二一日に物価変動を考慮して合理的な昇給を行うことを合意した。仮にこのような合意の存在が認められないとしても、アドの就業規則取扱要項給与規定一二条にはその旨規定されているし、社会的にもこのような昇給を行うことが労使慣行となっている(なお、賃金は前月二一日から当月二〇日までの分を当月二五日に支払うこととされている。)また、原告は、アドとの間の雇用契約、アドの就業規則取扱要項給与規定及び社会労使慣行によって、毎年六月三〇日に夏季賞与、毎年一二月三一日に年末賞与の支給を受ける権利を有している。
そして、このような昇給による毎年度の賃金の額、あるいは夏季及び年末賞与の額の算出については、賃金については労働大臣官房統計情報部作成の「産業大中分類及び規模別、常用労働者一人平均月間現金給与額、総実労働時間数並びに出勤日数」表の「きまって支給する給与」(規模五~二九人、男子)により、夏季賞与については同部作成の「産業大分類及び規模別、常用労働者一人平均夏季賞与の支給状況」表の「夏季賞与額」により、年末賞与については同部作成の「産業大分類及び規模別、常用労働者一人平均年末賞与の支給状況」表の「年末賞与額」により建設業、不動産業及びサービス業の三業種につきそれぞれ前年比を算出し、それから右の三業種の平均前年比を算出し、その平均前年比を前年の額に乗じた額(一〇〇〇円未満は切り捨てる。)を求めることとして算出するのが合理的である。そこで、このような方法によって、まず、これまでに発生した賃金、夏季賞与及び年末賞与の額を算出すると、昭和四九年度(年度とは当年の三月二一日から翌年三月二〇日までをいう。)の賃金は通勤手当を除く基準内賃金と超過勤務手当の合計として二〇万八〇〇〇円、夏季賞与は本給の二か月分で二三万二〇〇〇円、年末賞与は本給の二・七か月分で三一万三二〇〇円であるとして、これをもとに昭和六〇年度までの分を算出したのが賃金については別表1、夏季賞与については別表2、年末賞与については別表3(なお、この算出にあたっては原告が高齢者であることから昇給率が鈍化することを考慮して修正を加えた。)に各記載のとおりとなる。そして、昭和六〇年度以降の分については上記の方法によって算出されることになり、また、前記の各表が未発表であるために三業種の平均前年比が算出不能のときは直近の三業種の平均前年比を用いて算出されるべきものである。
(四) また、原告は、アドからこれらの賃金、夏季賞与及び年末賞与の支払を得ていないことによって、その間インフレーションの進行による貨幣価値の下落による損害を被っているのであって、昨今の経済情勢に照らすと、このようなインフレーションの進行による損害は通常生ずべき損害であるということができるし、仮にそのようにいうことができないとしても、この損害はアドにおいてその発生を予見し又は予見することを得べかりしものであるということができるから、アドにおいてこれを賠償すべきものである。そして、この損害額は、上記の各金員について、その支払期日の属する月の全国消費者物価指数(No)をもって現実に支払のなされた日に直近の既発表の月の全国消費者物価指数(N)を除して得る商(N/No)から一を減じて得る数値(N/No-1)を乗じた額とするのが相当である。また、仮に、このインフレーションによる損害の賠償請求が認められないとしても、この貨幣価値の下落は、後記3(九)のとおり被告らの不当な応訴によってもたらされたものであるから、原告は予備的請求の趣旨(二)のとおりその損害の賠償を求める。
(五) また、アドは、前記のように原告に対して無効な解雇を行った後原告の就労を拒否して賃金の支払を行っていないが、このような場合には使用者の責に帰すべき事由による休業というべきもので、賃金未払分の中には労働基準法二六条に所定の休業手当分が含まれているものと解すべきものであるからその支払を行うべきところ、アドはこれを支払わないので、原告はアドに対し同法一一四条によりこれと同一額の附加金の支払を求める。そして、原告の一日当たりの附加金の額は三六五三円四〇銭である。
(六) 以上の原告のアドに対する請求については、アドを除く被告らも同様に、かつ、連帯してこれを行うべきものである。その理由はつぎのとおりである。
被告荒川は、アドの代表取締役であり、原告がアドに雇用されるに際して、その雇用契約の内容が遵守されるべきものであり、これを保証することを約したものである。また、荒川はアドの行った行為につき商法二六六条の三による責任を負う。更に、アドは、資本金三〇〇万円、株主は一〇名、従業員は一三名の小会社で、その経営は荒川個人によって行われており、株式会社としての実体を全く備えていないばかりか、荒川がアドを設立したのも税務対策、信用力の増大、責任回避のために法人格を濫用したものにすぎない。従って、荒川については法人格否認の法理により個人的にも責任を負うべきものである。
被告佐藤及び同宮内はアドの取締役であり、被告佐藤はアドの監査役であるから、アドの行った行為につき商法二六六条の三、二八〇条により責任を負うべきものである。
(七) よって、原告は、被告らに対し、原告がアドの技術部長として従業員の地位にあることの確認と、未払の賃金、夏季賞与、年末賞与及び休業手当に対する附加金の支払及びこれらに対する商事法定利率年六分(附加金については民法所定の年五分)の割合による遅延損害金(なお、原告は、これまで被告らに対して、数次にわたり前記金員の支払を求めているのにもかかわらず被告らはその支払をしないので、一年分以上延滞した利息についてはこれを元本に組み入れる複利式計算方法によることとする。)と支払遅延による損害賠償(前記(四)記載のもの)の支払を求める。
2 主位的請求の趣旨第(五)項について
(一) 原告は、アドとの雇用契約の締結に当たり原告の技術部長としての地位にかかわらず超過勤務をしたときはアドから超過勤務手当の支払を受ける旨約していた。
(二) 原告が、昭和四八年九月以降解雇されるまでの間に、別表4に記載のとおり、未払の本給、役員手当、精勤手当、夏季賞与及び年末手当(同表<1>、合計四二万八二〇〇円)、超過勤務手当(同表<2>、合計一五万〇九五七円)があり、また、同表<1>の本給等のうちには支払が遅延したものがありこれに対する遅延損害金の額は同表<5>に記載のとおり合計一四七三円となり、更に、この未払の超過勤務手当のうち法定外時間外勤務及び休日勤務について支払われるべき超過勤務手当と同額の附加金は同表<4>(合計七万〇四八四円)に記載のとおりとなり、以上を合計すると六五万一一一四円となる。
(三) 以上の金員についてインフレーションによる損害賠償を求める点及びアド以外の被告らについて請求を行う根拠については前記1(四)及び(六)のとおりである。
(四) よって、原告は、被告らに対し、右の金六五万一一一四円及びこのうち超過勤務手当についてはそれに対応する同表の支払期日欄に記載の支払期日の翌日から商事法定利率の年六分、附加金及び遅延損害金の合計七万一九五七円については本判決の確定日の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金(これについても一年分以上の延滞分を元本に組み入れて計算することは前記のとおり。以下の遅延損害金の請求についても同様とする。)の支払を求める。
3 主位的請求の趣旨第(六)項について
(一) 雇用契約締結に際しての詐欺による損害の賠償請求
(1) 原告がアドと雇用契約を締結するに際して、原告は荒川に対して、通勤手当を除く固定賃金として一五万円以上とする希望を述べたところ、荒川は、二級建築士の免許を有し国士館大学経済学部出身の経済学士である営業部長の水口清が一五万円であるので、水口より多くは出せない旨述べた。原告は、この荒川の言を真実であると信じるとともに、アドの事務所の応接間にパース(透視図)が飾られているのを見てこれまで水口がこれらの新築工事の設計監理契約の締結に関して功績があったのであろうと考え、やむなく原告の通勤手当を除く固定資金を一四万円とすることで合意した。ところが、荒川が述べた水口の学歴、免許の所持は全くの虚偽であったし、また、水口は右設計監理契約締結に関して何らの関係も有していなかったのであるから、結局アドは、原告を偽もうして原告の賃金を不当に低額にしたものである。
(2) このようなアド及び荒川による偽もう行為がなければ、原告の賃金は月額一五万円となっていたはずであり、これをもとに原告が本来受けるはずであった本給、超過勤務手当、賞与、退職金等との差額は合計八二万五三九九円となり、また、この偽もう行為により原告が被った精神的損害に対する慰謝料としては一〇万〇九一四円とするのが相当である。
よって、原告は右の合計九二万六三一三円を請求することができるところ、そのうち八八万三〇〇〇円とこれに対する右不法行為後の昭和四八年九月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二) 超過勤務手当の支払中止による損害
(1) 原告は、前記のとおり超過勤務に対しアドから超過勤務手当の支払を受ける権利を有するところ、アドは、昭和四八年一〇月二五日に同月分の賃金を支払う際に、原告に対する超過勤務手当の支払を故意に中止した。このようなアドの行為は雇用契約に反する債務不履行であるとともに不法行為にも該当する。
(2) 原告は、この支払中止行為に対する自衛手段としてやむをえず超過勤務時間数を減少させることとした。この超過勤務時間数の減少によって原告が得られなかった超過勤務手当については右不法行為と因果関係があるものであるから、アドはこれを賠償すべき義務があるところ、その額は四〇万八七八八円となる。また、原告はこの不法行為によって精神的損害を被ったが、これに対する慰謝料としては四万五〇〇〇円とするのが相当である。
よって、原告は、この合計四五万三七八八円のうち金四五万円及びこれに対する右不法行為の翌日である昭和四八年一〇月二六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(三) 昭和四八年度忘年会における傷害事件及び安眠妨害による損害賠償
(1) アドは、昭和四八年一二月二一日から同月二二日に山梨県東八代郡石和町所在の「かげつ旅館」において、同年度の忘年会を開催した。この忘年会は、アドが全額費用を支出してアドの就業日に行うというアドの福利厚生行事として行われたものである。
原告は、この忘年会に参加したのであるが、同月二二日の午前二時三〇分ころ、宮内及び水口は熟睡中の原告の近くで大声を出して原告の安眠を妨害し、また、同日の早朝原告が就寝中に、荒川及び荒川から教唆をうけたアドの従業員から暴行を受けて負傷した。
(2) アドは、忘年会の実施に際して従業員が安全に参加することができるように配慮し、従業員に対してもその旨の注意を与えるなどすべき義務を負っているところ、これを怠ったものであり、その従業員が行った安眠妨害及び暴行について原告が被った損害を賠償すべき責任がある。そして、原告は、右安眠妨害によって一時間睡眠を短縮させられたから、原告が被った財産的損害としては、深夜労働に対する超過勤務手当の一時間あたりの額の二倍の二五六八円とするのが相当であり、精神的損害に対する慰謝料としては右財産的損害の約六割の一五〇〇円とするのが相当である。また、右暴行によって、原告は、治療のための通院を余儀なくされ、治療費等二四〇〇円、通院費用九六〇〇円を支出し、この暴行の際に原告の腕時計のバンドが破損したのでその取替えに一八〇〇円を支出した。更に、この暴行によって原告が被った精神的損害は大きく、慰謝料としては金三〇万円をもって相当とする。
(3) よって、原告は安眠妨害についての合計四〇六八円のうちの三〇〇〇円と暴行についての合計三一万三八〇〇円のうちの三〇万円の合計三〇万三〇〇〇円とこれに対する不法行為の翌日である昭和四八年一二月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(四) 原告に対する降格及び昇給停止処分に対する損害賠償
(1) 前記のように、アドは、昭和四九年四月一日、原告に対して技術部長を解任するとともに、同日に行われるはずであった定期昇給に対して、他の従業員を昇格させたにもかかわらず原告だけを昇給させなかった
(2) アドが原告に対してこのような処分を行ったのは、アドが前記のように超過勤務手当を支払わないことに対して原告が超過勤務時間数を減少させていたことや原告が荒川とアドの女性従業員との情交関係を察知してこれを調査したり佐藤にその旨告げたりしたことから右女性従業員が退社したことに対して荒川が不快の念を抱き、また、原告が前記忘年会における安眠妨害及び傷害事件を捜査していたことから荒川が真相が解明されるのをおそれたことから、原告を任意退社させることを図ったこと、並びに、原告が荒川に次ぐ地位として入社し、超過勤務もしないことに不快の念を抱いていた小川佐が、荒川に対して原告の降格処分を要求したことによるものであって、権利の濫用であり、雇用契約に反するとともに不法行為にも該当する。原告は、この不当な処分によって精神的損害を被ったもので、これに対する慰謝料の額は三〇万円とするのが相当である。
(3) よって、原告はこの金三〇万円とこれに対する不法行為の翌日である昭和四九年四月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(五) 昭和四九年度の忘年会への参加拒絶による損害賠償
アドは、昭和四九年一二月二二日から同月二三日にかけて、箱根小涌園において昭和四九年度の忘年会を開催した。この忘年会の性格は前記のとおりであり、原告はこれに参加する権利を有しているところ、同月二一日に原告が荒川に対して忘年会への参加希望を表明したのに対し、荒川はこれを拒絶した上、忘年会の幹事である君塚光良をして原告が忘年会に参加をできないようにさせた。この参加拒絶は、雇用契約に付随する債務の不履行であり、また、不法行為にも該当するから、原告が被った損害を賠償すべきところ、原告はアドがこの忘年会を行うにつき従業員一人当たりについて支出した費用相当額の財産的損害として約一万六〇〇〇円程度と精神的損害として一万五〇〇〇円を被ったのであり、少なくともこれらの合計が二万五〇〇〇円を下らないから、二万五〇〇〇円とこれに対する右不法行為の後である昭和四九年一二月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(六) 日常の不法行為等による損害賠償
(1) 原告がアドにおいて勤務していた間、原告は、アド及びその従業員から次のとおりの不当な処遇をうけた。
ア 原告は、毎朝、出勤時刻よりも前に事務所に到着していたが、事務所の扉が出勤時刻をすぎても施錠されていたため、扉の外で待たざるを得ず、冬季には自らストーブを点火する等の行為を行わざるを得なかった。
イ このように原告は毎朝事務所に一番早くくるのにもかかわらず、原告の机が掃除されるのは一番最後であって、後にはその掃除すらされなくなったため、自分でこれを行わなければならなかった。また、原告は技術部長であり、出入口に一番近いところに机があったにもかかわらず、お茶等の配給に際しては一番最後に配給を受けたり、原告だけがその配給を受けられなかったりした。そのため、原告は自分でお茶を入れざるを得なかった
ウ アドでは昼食のための休憩時間中においても外部から電話がかかってくることがあるところ、原告以外の他の従業員は皆昼食のために外出してしまうため、技術部長たる原告としては休憩時間中も外出をしないで電話等の応対に従事していた。このことは荒川や他の従業員においても十分に知っていることであるのに、アドはこの休憩時間中の原告の労働に対して全く賃金等の支払をしなかった。また、原告のこの労働によってアドはその対価について不当利得していたものということもできる。
(2) 以上の各行為は、雇用契約に違反する債務不履行であるとともに不法行為でもあるからアドは原告が被った損害についてこれを賠償すべき責任があるところ、原告は、財産的損害としてアにつき二万八四八五円、イにつき二六四〇円、ウにつき三〇万四四八七円と精神的損害として三万四四〇〇円の合計三三万八八八七円の損害を被った。
(3) よって、原告はこのうちの二三万七〇〇〇円とこれに対する不法行為の後である昭和五〇年一月一四日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(七) 解雇による損害
前記のようにアドは原告を解雇したが、これは違法かつ無効なものであるから不法行為に該当するところ、原告はこれによって精神的苦痛を被ったのでその損害を請求することができるところ、その慰謝料の額としては金七一万円とするのが相当である。よって、原告は七一万円とこれに対する不法行為の翌日である昭和五〇年一月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(八) 失業保険法等の法令違反による損害
(1) アドは次のとおりの違法行為を行っていた。
ア アドは、失業保険法の適用事業の事業主であり、原告が入社する際に失業保険への加入手続を行うことを約したにもかかわらず加入手続をせず、その後昭和四九年一二月二一日に加入手続をしたもののその内容には虚偽の事実が記載されていた。また、同法により原告から予備的にもせよ離職票の交付請求があれば、これに応じなければならないにもかかわらず、これに直ちに応じなかった。
イ アドは原告に対する厚生年金保険及び健康保険の被保険者資格の得喪手続を法定期間内に行わず、その期間経過後にこれを行ったものの、その内容は虚偽であった。
ウ アドは労働者災害補償保険法の適用事業の事業主であるのに同保険への加入手続を怠っており、その他にも労働基準法、労働安全衛生法等に違反する行為を数多く行っていた。
エ アドは、所得税法によって法定の期間内に源泉徴収票を原告に交付すべきであるのに、期間内に交付しなかったり、内容が不正なものを交付したりした。
(2) アドの右各行為は雇用契約に反しているとともに原告に対する不法行為でもある。原告は、アドのこのような行為の結果行政官庁に対しこれらの行為を申告して救済を求めざるを得ず、これによって財産的損害として一二万二〇一三円、精神的損害の慰謝料として一万二九八七円の損害を被った。
(3) よって、原告はこの合計一三万五〇〇〇円のうちの九万五〇〇〇円とこれに対する不法行為の後である昭和五〇年二月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(九) 被告らの不当な応訴と被告アド及び荒川による不当な反訴による損害
(1) アドから原告が解雇された後、原告はアドに対して雇用契約に基づく債務の履行及び不法行為に基づく損害賠償債務の履行を請求したがアドはこれに応じないので、原告はやむなく、東京地方裁判所に対してアド及び荒川を相手とする仮処分の申請を行い、また、被告らを相手とする本件訴訟を提起した。被告らは、原告の解雇に先立ち弁護士と相談を重ね、右仮処分事件や本件において原告から提出された資料を通じて原告の請求が理由があることを十分に知りまたは知り得べきところ、被告らはいたずらに虚偽の事実を主張して原告の請求を争っている。
さらに、アド及び荒川は、単に不当に応訴するにとどまらず、本件において原告に対する反訴を提起するに至ったもので不当訴訟というべきものである。
(2) 被告らのこのような不当応訴と反訴の提起は、信義則にも反し権利の濫用であって不当行為に該当するものというべきである。そして、原告は、被告らの不当な応訴と反訴により弁護士費用相当額三〇万円の損害と、精神的損害として四〇万円の損害を被った。
よって、原告は右七〇万円とこれに対する不法行為の後である昭和五〇年四月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(一〇) 以上の(一)ないし(九)の各金員の請求権はアドに対するものであるが、これについてインフレーションによる損害賠償を求める点及びアド以外の被告らに対しても同様の請求を行う根拠については、これまで各箇所において特に個別に言及したほかは前記1(四)及び(六)のとおりである。
4 予備的請求の趣旨第(一)項について
(一) 仮に原告に対する解雇が有効であるとしても、原告は被告らに対して次の請求権を有するものである。
(1) 解雇予告手当及びその附加金等
アドは、原告に対して、前記のとおり昭和五〇年一月九日に解雇予告を行い、ついで同月一三日には即時解雇の意思表示を行った。従って、アドは、原告に対し、労働基準法二〇条一項により同月一四日から二六日分の賃金相当額を解雇予告手当てとして同月一三日に支払うべき義務があるところ、原告の請求にもかかわらずその支払をせず、同年二月八日に至って解雇予告手当として六万五〇〇〇円を送金してきた(これについては原告は受領を拒絶した)。よって、原告は、右の二六日分の解雇予告手当として一五万八四四四円(遅延損害金の起算日は同年一月一四日から)とこれと同額の附加金(遅延損害金の起算日は本判決の確定日の翌日から)及び右六万五〇〇〇円について弁済期の同年一月一四日から同年二月八日までの間の年六分の割合による遅延損害金二七七円(遅延損害金の起算日は同年一月一四日から)の支払を求める権利を有する。
(2) 退職金
アドによる解雇の結果、原告は、アドに対して就業規則取扱要項給与規定により原告の本給の一か月分に相当する退職金一一万六〇〇〇円の支給を受ける権利を有し、これについて原告がアドに対して同年一月一六日にその請求をしたことにより、本来は同月二三日までにその支払をすることが必要とされるところ、アドは同年二月八日に退職金として一一万円を支払ったにすぎない。従って、原告は、退職金の残金六〇〇〇円(遅延損害金の起算日は同年一月二四日から)と一一万円に対する同年一月二四日から同年二月八日までの間の年六分の割合による遅延損害金二八九円(遅延損害金の起算日は本判決の確定日の翌日から)の支払を求める権利を有する。
(3) 解雇による損害
原告に対するアドの解雇が有効であるとしても、本来この解雇は雇用契約締結時の保証契約に違反しまた不法行為にも該当する無効なものなのであるから、原告はこの解雇による得べかりし利益の喪失についてその賠償を求める権利を有している。そして、本件解雇がされなければ、原告は、定年退職に至るまで毎月の賃金と賞与及び退職金の支給を受けたはずであるからその合計を現在の価格に引き直した一〇八六万〇六〇八円と無効な解雇に対する精神的損害に対する慰謝料として一一一万五九三八円の合計一一九七万六五四六円(遅延損害金の起算日は同年一月一四日から)の支払を求める権利を有している。
(二) 以上の原告の請求についてアド以外の被告らについても請求を行う根拠およびインフレーションによる損害賠償を求める根拠は前記1(四)及び(六)のとおりである。
(三) よって、原告は予備的請求の趣旨第(一)項のとおりの金員の支払を求める。
5 予備的請求の趣旨第(三)項について
(一) 原告は、主位的請求の趣旨第(五)項中において未払の超過勤務手当の支払を請求しているが、仮にアドによる昭和四八年一〇月二六日の超過勤務手当の支払中止後においてはその請求を行うことが許されないとしても、この超過勤務手当の支払中止により原告が被った損害の賠償を求める権利を有しているものというべきである。そして、その額は支払中止がなかったならば得られたであろう逸失利益として九万九四三一円、原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料として三万九〇〇〇円とするのが相当である。
(二) 以上の原告の請求についてアド以外の被告らについても請求を行う根拠及びインフレーションによる損害賠償を求める根拠は前記1(四)及び(六)のとおりである。
(三) よって、原告は、被告らに対し、右のうち一三万八〇〇〇円とこれに対する不法行為の後である同月二六日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の(一)の事実は認める。
(二)の事実中、アドが原告主張のとおりの降格処分及び解雇を行い、原告の就労を拒否していることは認めるが、解雇が無効であるとの主張は争う。
(三)ないし(五)の主張は争う。
(六)の事実中、荒川の個人名義の保証書があることは認めるが、その余の主張は争う。
2 同2(一)の事実は否認する。原告に対して超過勤務手当を支払うとの合意は何ら存していない。原告は、管理職であって本来超過勤務手当の支給対象者ではなく、その代わりに役付手当が支払われていた。
(二)の事実は否認する。
3 同3(一)の(1)の事実中、アドがパースを掲げていたことおよび原告の賃金を一四万円としたことは認めるが、その余の事実は否認する。(2)の主張は争う。
(二)の(1)の事実は否認する。原告が超過勤務手当を支給される権利を有しないことは前記2のとおりである。なお、アドは昭和四八年九月分において超過勤務手当の支給をしたがこれは事務手続の過誤によるもので、同年一〇月分からは本来の約定のとおりにその支給をしなかったのであって、何ら不当とされるものではない。(2)の主張は争う。
(三)の(1)の事実中昭和四八年度の忘年会が開催され、原告がこれに参加したことは認めるが、その余の事実は否認する。安眠妨害事件及び傷害事件なるものは全くなかったもので単なる原告の妄想にすぎない。仮に宮内らが深夜騒音を発したとしても、これは旅行中のとるに足りない出来事であって、何らの違法性も原告の損害もない。(2)の主張は争う。
(四)の(1)の事実は認める。(2)の事実は否認する。
(五)の事実中昭和四九年度の忘年会を開催したことは認めるが、その余の事実は否認する。アドが忘年会への原告の参加を拒絶したのではなく、原告がアドに無理難題をふっかけ、自ら欠席したものである。
(六)の(1)の事実は否認する。入社当初原告は丁重に扱われていたが、非常識な言動が目にあまるようになり、社員から疎んぜられた結果にすぎない。(2)の主張は争う。
(七)の主張は争う。後述するとおり本件解雇は正当なものである。
(八)の(1)の事実は否認する。(2)の主張は争う。
(九)の(1)の事実中原告が被告らに対し仮処分の申請や本件訴訟を提起し、被告らがこれに対して応訴し、反訴を提起したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告らの訴訟活動は正当な権利行使である。(2)の主張は争う。
4 同4の(一)の事実中、アドが原告主張のような解雇予告をし、また即時解雇の意思表示をしたこと、原告に対して賃金の未払額六万五〇〇〇円(これは原告の主張するような解雇予告手当ではない。)と退職金一一万円を郵送し、これが昭和五〇年二月八日に原告に到達したが、原告がその受領を拒否したことは認めるが、その余の事実は否認し、法律上の主張は争う。(二)の主張は争う。
5 同5の事実及び主張は争う。
三 抗弁
1 就業規則の定めと解雇理由
アドの就業規則五一条には、次の各号に掲げる一に該当する場合は、一か月前に予告し又は一か月分の給料を支給して即時解雇するとして、「業務に誠意が認められない場合」(三号)、「技能不良で配置転換するも見込みない場合」(四号)、「その他前各号に準ずる事由の生じた場合」(五号)が定められている。原告に対する本件解雇は、これら各号の事由に該当することを理由として行ったものである。
(一) アドは、原告を雇用するに際して、構造設計全般、積算全体に関して十分な経験と技術的能力を有するとの原告の言を信じて、原告を技術部長として採用した。しかし、原告は、当初の言に反して、構造設計業務に不慣れで現場作業に適合する構造設計ができず、現場施工の知識がなく現場の指導監督や構造設計図の作図ができず、意匠設計者からの構造設計に対する質問に返答しないなど、構造設計、積算全体に関する技術的能力を著しく欠いており、その上、外注者とすぐ口論したり、出退社の時間さえ守ればよいとして勤務時間内の業務に誠意がなく、部長としての指導力がないなど、技術部長としての職責を全く果たすことができなかった。そこで、アドは、昭和四九年四月一日付けをもって、原告を技術部長から技術研究部勤務とする降格命令を発した。
(二) しかし、原告はこの命令に従わず、アドに対し異議申立書を提出した上独断で会社内外において技術部長の名刺を使用するなどしてその肩書を勝手に用い、更に、アドからの業務指示に対しても次のとおり反抗的な態度に終始した。すなわち、昭和四九年二月一六日に松江田設計事務所から原告の言動に関して抗議を受けたこと(その原因は次の(三)のとおり。)に関して謹慎を命じたのに出社して反省をせず、同年七月一日に発した既存工事の工事費分析の業務命令に対して同月一八日までこれを放置し、注意を受けるや「こんな仕事ができるか」と怒号して業務を拒否したり、同様に同年一一月二〇日の月刊誌SDの分解整理の業務指示に対して労働者の意思に反するとして「通知書」なる書面をアドに交付してこれを拒否するなどした。
(三) アドの就業規則においては許可なく他の職につくことが禁止されているにもかかわらず、原告は「松岡建設コンサルタント」なる業務を別途経営しており、また、昭和四九年二月ころにはアドに隣接する松江田設計事務所の社員をこのコンサルタント業務の社員として引き抜こうとして同事務所から厳重に抗議を受けたことがあり、アドとしてはその信用を大きく失墜させられた。
2 解雇の意思表示
そこで、アドは、原告を解雇することとし次のとおりの手続を行った。
(一) まず、アドの代理人山本忠義ほかにより、昭和四九年一一月三〇日及び同年一二月九日ころ原告に到達した書面をもって書面到達後三〇日を経過した翌日に原告を解雇する旨の意思表示をした(原告はその受領を拒絶した。)。
(二) 荒川は、何らかの理由で(一)による解雇が効力を生じない場合に備えて、同年一二月二六日、原告に対して、昭和五〇年一月二六日の経過をもって原告を解雇する旨の意思表示をし、更に同年一月一三日に、同月二六日までの間の賃金に相当する額の金員及び退職金を提供して同月一三日をもって原告を解雇する旨の意思表示をした(原告は右金員の受領を拒絶した。)。
(三) そこで、アドはこの金員を原告方に郵送しこれは同年二月八日原告に到達したが、原告が受領を拒絶したので同月一四日これを供託した。
四 抗弁に対する認否と原告の反論
1 抗弁1の事実中原告がアドに技術部長として雇用され、後に降格処分を受けたこと、アドから工事費分析及び雑誌の分解整理作業を命じられたことは認めるが、その余の事実は否認する。
アドとの雇用契約の締結に際して、原告は経歴書や自己の作品等原告の能力を判定するのに十分な資料を提出している。原告は構造設計技術者であるがアドの他の従業員はすべて意匠設計技術者であるから、原告の能力を十分に評価し得ないのである。原告が下請業者たる外注先に対し指導監督を行うのは技術部長として当然の職務を遂行したのにすぎない。そもそもアドは原告を技術部長として雇用したのであるから、技術部長から降格させることは雇用契約に違反するし、アドが原告に命じた工事費分析及び雑誌分解作業なるものは構造設計技術者として技術部長である原告の従事すべき業務ではない。また、原告は定刻に出勤し、遅刻、早退、外出についてはその都度届出をしていたのであり、勤務態度は他の従業員より良好であった。
2 被告らが主張の日に山本ほかから原告に対して書面が郵送されてきたが原告がその受領を拒否したこと、荒川が昭和五〇年一月一三日に即時解雇の意思表示をしたこと及びアドが原告に対して金員を郵送し、原告がこれを受領拒絶することを供託したことは認める。
山本ほかからの書面はアドの代理人である旨の表示がなく原告が受領を拒絶するのは正当であるから、原告に対して解雇の意思表示が到達したものとはいえない。また、右同日に荒川が即時解雇の意思表示をした際には金員の提供はされず単に一月二五日に支払う旨を述べたにすぎないから即時解雇の効力を生じない。そして、その後郵送されてきた金員はアドが支払うべき金員の一部にすぎない。
五 再抗弁
1 荒川は、アドが原告を雇用するに際し、原告が六〇歳となるまでは退職の勧奨や解雇等の処分をしないことを保証する旨の合意をして、原告に対する解雇権を放棄した。この荒川の保証契約の効力は荒川がアドの代表取締役であることや法人格否認の法理の適用によってアドに及ぶ。よって、この解雇権の放棄にかかわらずされた解雇は無効である。
2 本件解雇はアドの就業規則に定める解雇事由のいずれに該当するものとしてされたか明示しないままに行われたものであって、就業規則に基づくことなく行われたものといわざるを得ないから無効である。
3 アドが原告を昭和五〇年一月一三日に即時解雇するにあたり、解雇予告手当の支給あるいはその提供をしなかった。よって、本件解雇は労働基準法二〇条に違反して無効である。
4 アドにおける原告の勤務は所定の勤務時間を順守し、欠勤等の場合にはその届出を励行し、昼食時間中も電話の応対等に従事するなど良好であった。これに引き換えアドの他の従業員の服務態度は緩慢で不良であった。それにもかかわらずアドはひとり原告だけを解雇しているのであり、これは意匠設計技術者を主体とするアドにおいて原告だけが構造設計技術者であることから原告を差別したものであって、このような取扱いは憲法の保障する法の下の平等に違反して無効である。
5 そのほか原告とアドとの間には前記一3に記載したとおり各種の事件が生じているところ、アドは、荒川及び他の従業員に非があるのにもかかわらずこれに対抗する原告の言動に不快の念を抱き、何ら正当な理由もないのに原告に対する報復的措置として本件解雇を行ったものである。従って、本件解雇は解雇権の濫用であって無効である。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実中原告主張の保証書が存在することは認めるが、その余の事実は否認する。原告は故意に職場をかく乱し解雇された場合に係争の具として使用することを計画して保証書をだましとったものである。なお、この保証書中には原告の故意による重大な帰責事由があるときはこの限りではないとの条項があるところ、原告にはこれに該当する事由が存することは明らかである。
2 同2ないし5の事実は争う。
(第三事件について)
一 請求原因
1 原告は、一級建築士等各種の資格を有していることを利用して通常に勤務する意図などは全くないのに、自己の技術的能力や経歴等を詐称して幹部職員として入社した上、意図的に常軌を逸する言動をもって職場秩序をことある毎にかく乱したあげく、これを理由として解雇されるとそれを奇貨としてさ細なことをあげつらって解雇予告手当、附加金、損害賠償等を請求する訴訟を提起し、和解金の支払を請求するということを昭和三七年以降十数社に及ぶ建設業者に対し行っているものである。そして、原告がアドに入社したのも同様の意図によるものであって、アドへの入社時において、原告は当時もなお他の建設業者との間で本件と同様な訴訟を係争中であってこれまで幾多の会社を転々としてきた事実を秘してアドとの間で雇用契約を締結した上、入社後は前記第一事件及び第二事件においてアドが解雇の理由として主張しているとおりの言動をもって終始し、その結果本件解雇がされると、全く理由がないことを熟知しているにもかかわらず仮処分申請や本件訴訟を提起して不当な訴訟活動を遂行している。
この結果、アドは原告によって営業活動を阻害され、信用を著しくき損されるなどの多大な無形的損害を被ったものであり、これを金銭に評価すると金二〇万円を下ることはない。また、荒川は、アドの代表取締役として、原告の常軌を逸した言動によって職場内外において著しく信用をき損され、また、本件のような不当な訴訟にひきこまれて甚だしい困惑と精神的苦痛を受けたのであり、これを金銭に評価すると金三〇万円を下ることはない。さらに、アド及び荒川は、原告による不当な訴訟に対して応訴をしてその紛争解決にあたらざるを得ず、更に本件反訴を提起して右の損害賠償の実現を図らざるを得なくなり、弁護士山本忠義ほか二名に対して訴訟を委任して、応訴費用及び反訴費用として各金一〇万円の出費を余儀なくされた。
2 よって、原告に対し、不法行為による損害賠償請求として、アドは金三〇万円、荒川は金四〇万円及びこれに対する不法行為より後である昭和五〇年一月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実はすべて否認する。
第三証拠
証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 第一事件及び第二事件の審理の対象となる請求の範囲について
第一事件及び第二事件における原告の請求は、請求の趣旨に記載のとおり数多くの請求が併合されているところ、口頭弁論の終結時において納付されている手数料の額はこの請求のすべてに見合う額に足りないので、手数料が納付されていて適法な審理の対象となる請求の範囲がまず問題となる。すなわち、原告は、第一事件の訴状において主位的請求として、<1>解雇の無効確認、<2>昭和五〇年一月一四日からの賃金、<3>昭和四八年九月から同年一二月分までの超過勤務手当等八万九二四六円、<4>同期間における超過勤務手当等の不払による附加金三万五四三三円の請求を行い、訴訟物の価格四二万四五七九円(正しくは四七万四六七九円である。)として四〇五〇円の手数料を納付している。ところが、原告はその後多数回にわたり請求の趣旨を追加、訂正、撤回するなどして変更し(右の<3>及び<4>の額も訂正されており、<3>は九万八〇三八円、<4>は四万三八二八円となっている。)、当裁判所から印紙の追貼命令を受け、第二事件が併合された後も請求の趣旨の訂正を行って、結局本判決において前記請求の趣旨に掲げた各請求を行っているところ、第一事件につき納付された手数料は合計一万七九〇〇円(これに対応する訴訟物の価格は三〇〇万円である。)にとどまっているのである(なお、第二事件について併合前に納付された手数料は第二事件のためのものであるから、ここには含めない。)。
そこで、これらの各請求のうちいずれの請求について手数料が納付されていることになるのかを考えると、当初訴状において請求された請求のうちの<1>、<3>及び<4>をもとに(前記のとおり当初のものにも手数料の不足があり、また、<3>及び<4>については訂正があるが、これらについては原告に有利なように当初の不足分は後の納付によって追完されたものとし、また、金額については訂正後のものを採用することとする。)、その後に追加訂正された請求については納付ずみ手数料額に対応する訴訟物の価格三〇〇万円から訂正後の<3>及び<4>の請求額の合計一四万一八六六円を控除した二八五万八一三四円に相当する分の賃金請求(当初の<2>の請求とその後の拡張分を含んだもの。)がこれに当たるものと解するのが相当である。従って、本件の審理の対象となる請求の範囲は別紙請求目録に記載のとおりとなる。よって、同目録に記載の請求以外の請求に係る訴えは手数料の納付がないから不適法としてこれを却下することとする。そこで、以下においては同目録に記載の原告の請求(以下「本件請求」という。)について判断することとする。
二 請求原因1(一)の事実(当事者)及びアドが昭和四九年四月一日原告の技術部長の職を解き技術研究部勤務を命じ(以下「降格処分」という。)、昭和五〇年一月一三日に原告を解雇したこと(以下「本件解雇」という。)は当事者間に争いがない。
三 原告がアドを除く被告らに対する請求の原因として主張するところは、まず、被告荒川に対しては、荒川の個人名義にかかる保証書(甲第二号証)による保証内容の履行の請求、アドの代表取締役としての商法二六六条の三の規定に基づく請求又は法人格否認の法理の適用による荒川個人に対する請求であり、また、被告佐藤及び宮内に対してはアドの取締役として、被告藤井に対してはアドの監査役としてそれぞれ商法二六六条の三(藤井については更に同法二八〇条)の規定に基づいてこれらの者に対して個人責任を追求するというものである。
そして、成立に争いのない甲第二号証によれば、荒川の作成にかかる保証書が存在しているが、その内容は、原告が六〇歳に達するまでは解雇の処分をさせないことなどについて荒川が保証することを約したにとどまり、将来アドが原告に対して負うことのあるべき債務についてこれをすべて荒川個人において連帯して引き受けるべきものとすることまでを合意したものではないことが認められるから、この保証書に基づいて荒川に対して本件のような請求を行うことはできないものといわざるを得ないし、他にこのような合意を認めるに足りる証拠もない。次に、荒川に対する請求の原因として原告が主張する法人格否認の法理の点については、原告の主張する事実をもってしても未だアドの法人格が形がい化しているとか、アドの設立が法人格の濫用であるとかということはできないから、この点において既に原告の主張は失当である。さらに、原告がアドを除く被告らについて商法二六六条の三の規定に基づく主張をしている点については、この主張を認めるに足りる証拠は全くない。よって、原告のアドを除く被告らに対する本件請求は、いずれも理由がないというべきである。
四 そこで、原告のアドに対する本件請求の当否について判断する。
1 就業規則の定め
(証拠略)によれば、アドの就業規則五一条においては、次の各号の一に該当する場合には一か月前に予告し又は一か月分の給料を支給して即時解雇するとして、「業務に誠意が認められない場合」(三号)、「技能不良で配置転換するも見込みない場合」(四号)、「その他前各号に準ずる事由の生じた場合」(五号)が定められていることが認められる。
2 本件解雇の効力について
(一) 本件解雇に至る経緯
(証拠略)、原告本人及び被告荒川の各尋問の結果によれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる的確な証拠はない。
(1) アドの代表取締役である荒川は、アドが意匠設計を主体とした建築設計事務所で意匠技術者しかいなかったためにこれまでアドで意匠設計したものについての構造設計は外部の構造設計事務所に外注をするほかなかったことや荒川自身がまだ比較的年齢が若かったことから、かねてから、構造設計についての自社内でそのチェックを行うことができ、また、荒川の代行も行うことができる年配の構造設計技術者を雇用することの必要性を感じていたところ、昭和四八年八月ころ、自ら松岡建設コンサルタントを経営していると称する原告がアドに構造設計の外注の受注を申し込んで来たのを契機として、アドが原告を技術部長として雇用することとなり、原告は同年九月一七日にアドに入社した。この雇用契約の締結の際に、原告は自己の学歴、資格や構造設計、積算、施工監理などの職歴等を詳しく記載した経歴書を持参し、荒川に対して構造設計、積算、工事監理のすべてについて堪能である旨述べたので、荒川はそれを信じて技術部長として処遇することとしたもので、その職種としては、構造設計全般、重点現場監理、積算全体及びこれに関する一切のものとされた。
(2) 原告の入社後の業務遂行状況をみると、原告の技術的能力は劣悪であった。
ア 入社直後の同年九月に、アドの設計主任の小川から既に一応構造設計が終わっていた狭山市立南小学校体育館工事の銅縁部分の工事の手直しについての構造設計上の意見を求められた際に、原告は単に構造設計書の書き方などについての話をするばかりで適切な応答をしなかった。
イ 同月一九日に、荒川からファミール厚木リバーサイドマンションの基本設計を行うに必要な仮定断面の算出を命じられたところ、原告は以前アドが手掛けたマンションの図面をもとに面積から割り出した仮定断面の計算を行い、そのような計算の適否について意見をされると、仮定断面の作成については構造技術者の担当する分野であるにもかかわらず、「そういうのは意匠屋が勝手にやればいい」などと発言した。また、原告は自分は製図はできないといっていたため、結局この仕事は外注に出さざるを得なかった。
ウ 同年秋ころ、原告はアドの従業員新名正信とともに工場に現寸検査に行ったり、また、荒川とともに鳴沢マンション等の工事監理のために現場に赴いた。しかし、原告は現寸検査の意義すらわからず、また、工事監理について構造技術者としての意見を述べることをせず話し合いの場からはなれたところにいるだけであった。
エ 同年一一月ころ、原告は山岳地に別荘として建築される壁式構造の正木邸の構造計算を行うことを命じられ、原告はそれを完了した。そして、原告は右のように製図を行わないため、アドが製図を広瀬構造設計事務所に外注に出したところ、同事務所から現場が山中にある壁式構造の小住宅であるから現場での施工性や経済性を考えて直径一六ミリメートル以下の鉄筋で統一する方が望ましいのに、単に計算上許容されるということから二五ミリメートルの太物を使用していることや、窓の開口部補強がされていないこと及び山岳地であるのに基礎の深さが足りないことなどの指摘を受けた。すると、原告はこれに取り合わず、「下請はおれのいうことを聞け」と怒号した。
(3) また、原告の勤務態度は次のとおり極めて不良であり、かつ、常軌を逸した行動があった。
ア 昭和四八年一〇月ころ、鳴沢マンションの構造計算業務を命じられたが、この仕事は急いで行う必要があり、原告もその旨承知していたにもかかわらず、自己の都合にあわせてゆっくりと行っていたため他の従業員からこれを注意されると、そういうことをいわれる筋合いはない、おれの予定で進めるなどと暴言を吐き、結局原告を業務からはずして構造計算を外注せざるを得なかった。
イ 同年一二月二一日から二二日にかけて、アドは山梨県東八代郡石和町所在の「かげつ旅館」において忘年会を開催したが、原告はこの忘年会から帰った後、就寝中に荒川又は他の従業員から暴行を受けて負傷したと主張し、荒川に対して犯人がだれであるか調査するよう求め、自らもその調査を行った。しかし、この忘年会において原告が暴行を受けたという事実は全くなかった(原告は暴行を受けた旨主張し、診断書(甲第二〇号証)を提出しているが、原告が暴行を受けたとの原告本人の供述は到底信用することができず、他にこの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。)。
ウ 原告は、灰皿が少しでも汚れていると、アドの女性従業員に対して「なぜ洗わないのか」と文句を言ったり、打ち合わせの席に灰皿がないとたばこの灰を床や植木鉢の中に落としたり、他の従業員が注意すると「灰皿はだれがおくものか。女の子が置くものだ。」などといっていた。また、原告が自分でお茶を飲んでいるので女性従業員がお茶を配らなかったり、お茶が自分から最初に配られないと、「おれのところに何で置いていかないのか」、「自分から出せ」と文句を言い、「おまえのようなしつけを知らないやつはおれが退職勧告してやる」などと怒鳴ったりした。更に、原告はお茶を持ってきた女性従業員に対して「この中に毒が入っているのではないか」と何の根拠もないのにしきりに尋ねたりした。
エ 原告は、遅刻、早退をせず、勤務時間さえ守れば業務内容はどうでもよいとの態度をとり、勤務時間中に頻繁に外出したりする一方、自己の業務でもないのに他の従業員のタイムカードを調べたり、他の従業員が仕事をしているところで必要のないことを話し掛けたりしてしばしばその仕事を妨害した。
(4) 以上のように原告の技術的能力は低く勤務態度も不良であったので、アドは、昭和四九年四月一日、原告に対して、技術部長を解き技術研究部勤務を命じた。しかし、その後の原告の勤務態度は次のとおりであって一向にその改善がみられなかった。
ア 原告は、技術部長を解かれたにもかかわらず、これに不服であるとの態度を示し、技術部長の肩書がある名刺を用いたり、他の従業員が来客と応対していると自分が技術部長であるとしてこれに割り込んだりした。
イ 荒川は、原告の構造設計や工事監理についての技術能力の程度を勘案して将来の技術の蓄積という意味もあって、同年七月ころにはトーメンハイネス熱海クリフサイドマンションの積算作業を命じたところ、原告は、「こんなものはできるか」といって半月くらい図面を机の上に放置したままにしておいた。
ウ そこで、荒川は、原告に対して簡単な作業として同年一一月ころ建築雑誌「SD」の記事のうち必要なものを分野毎に分解整理して製本する作業を命じたところ、原告は文書をもってこれを拒否し、更に、わざわざこの命令を文書をもって指示することを要求したりした。
(二) 就業規則の定める解雇理由の該当性
以上の事実を総合して考えると、まず、右(2)及び(4)の各事実からすると、構造設計全般、工事監理、積算全体について堪能であるとの原告の当初の言にもかかわらず、そのいずれについても原告の技術的能力は劣悪であり、アドが原告を雇用する際に期待した技術部長としてふさわしい能力を欠くばかりか、そのために技術部長を降格された後においてもなお自分は技術部長であるとの態度に終始し、命じられた業務についてこれを誠実に行わなかったものというほかはないから、就業規則五一条四号の「技術不良で配置転換するも見込みない場合」に該当するものというべきである。また、右(2)のイ、エ、(3)及び(4)の事実からすると、原告の勤務態度は不良であり、同条三号の「業務に誠意が認められない場合」に該当するものというべきである。これに対して原告は、アドは原告を技術部長として雇用したから降格を行うことはできず、アドが原告に命じた積算や雑誌分解整理作業は技術部長たる原告の行うべき業務ではなく、原告がこれを拒否したとしても何ら非難に値しない旨主張するが、前記のような理由から原告の技術部長の職を解くこと及び原告に積算を命じることは原告の入社の経緯、技術部長として予定された業務の内容及び雇用契約の内容に照らしてもやむを得ない措置として是認することができるし、また、このようにして技術部長の職を解かれた以上雑誌分解整理を命じられたことが原告の行うべき業務ではないとはいえないというべきである。
(三) 本件解雇の効力
アドが、昭和四九年一一月三〇日に原告に到達した書面をもって原告を同書面の到達後三〇日を経過した翌日に解雇する旨の意思表示をしたところ、原告はその受領を拒否したことは当事者間に争いがない。そして、原告がこの書面の受領を拒否したことについては特段の正当な理由も見いだすことはできないから、アドの解雇の予告の意思表示は同日原告に到達したものということができる。従って、原告は同書面到達後三〇日を経過した翌日である同年一二月三一日に解雇されたものというべきである。
(四) そこで、原告の再抗弁について検討する。
(1) 原告は、前掲甲第二号証の荒川作成の保証書によって荒川は原告に対する解雇権を放棄したものであり、この保証書の効力は法人格否認の法理によってアドに及ぶから、それにもかかわらず行われた本件解雇は無効である旨主張する。しかし、右甲第二号証によればこの保証も原告の故意による重大な帰責事由ある場合にはこの限りでないとして一定の制限をもうけていることが認められるのであって、この保証書によってもいかなる場合においても荒川が原告を解雇しない旨を約したものではないことが明らかであるところ、本件解雇は前記のように正当な理由に基づいて行われたものということができるのであるから、本件解雇がこの保証書に違反しているものということはできないのである。従って、原告の主張は採用することができない。
(2) 次に原告は、本件解雇が理由を明示しないまま行われたもので就業規則に基づかないものであり、また、昭和五〇年一月一三日に即時解雇された際に解雇予告手当の支払あるいはその提供をしなかったので労働基準法二〇条に違反するとして、本件解雇の手続きにかしがある旨主張する。しかし、本件解雇は前記の理由に基づいて行われた正当なものであり、解雇を行う際に解雇理由を明示しなかったからといってこれが直ちに就業規則に基づかない違法なものであるとはいえないし、また、本件解雇は前記(三)のとおり昭和四九年一一月三〇日に三〇日の予告期間をおいて行われたものであるから、解雇予告手当の提供がされなかったことは何ら労働基準法に違反するものではない。
(3) さらに、原告は本件解雇が法の下の平等に違反するとし、また、解雇権の濫用であるとして解雇の無効を主張し、(証拠略)及び原告本人尋問の結果によればアドの他の従業員は残業が多く多忙なためアドへの出勤状況が比較的ルーズであることが認められはするけれども、前記認定の原告の勤務状況に比しその勤務態度が格別不良であるとは本件全証拠によっても認めることができないから、原告の不良な勤務態度等を理由とする本件解雇が法の下の平等に反するものとは到底いうことができないし、本件全証拠によっても本件解雇が解雇権の濫用であると認めるには足りない。
(五) そうすると、再抗弁はいずれも理由がないから、原告は昭和四九年一二月三一日をもってアドを解雇され、アドの従業員たる地位を失ったものというべきであり、本件請求の<1>及び<2>は理由がないことになるし、また、本件解雇が正当なものであって解雇が有効である以上この点に関する原告の予備的請求も理由がなく失当というべきである。
3 超過勤務手当及び附加金の請求(別紙請求目録一の<3>及び<4>)について
原告はアドに技術部長として雇用されるにもかかわらずアドから超過勤務手当の支給を受ける旨の合意をしていたと主張する。
(証拠略)によれば、原告がアドに入社した昭和四八年九月分の給料においては超過勤務にかかる割増給として八七五円の支払がされたところ、それ以降においては超過勤務手当は支払われていないことが認められる。しかし、他方で(証拠略)によれば、原告がアドと雇用契約を締結するにあたり、荒川は原告に対し主任には超過勤務手当を支給しているが部長にはそれを支給せず役付手当を支給している旨述べており、実際にも同月分では原告が技術部長であるにもかかわらず超過勤務手当を支払って役付手当は支給していなかったものの、翌一〇月分からは役付手当を支給して超過勤務手当を支払っていなかったことが認められる。これらの事実に原告が技術部長という管理職の地位にあったことを併せて考えれば、同年九月分の給料の支払において超過勤務手当を支給したのは原告が入社後間もない時期であったことから誤ってこれを支給したものというべきであって、原告とアドとの間において技術部長という管理の地位にあるにもかかわらず超過勤務手当を支払う旨の合意が成立していたものと認めるには足りないというべきである。そして、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、このような合意が存在することを理由とする超過勤務手当の請求とこれを前提とする超過勤務手当の支払中止による損害賠償の予備的請求及びその不払を理由とする附加金の請求はいずれも理由がないものというべきである。
五 第三事件について
(証拠略)、被告荒川本人尋問の結果によれば、原告は以前東京地方裁判所における判決において、これまで十数社において本件と同様な紛争を起こしていると認定された経緯を有するところ、このような経歴を明らかにしないでアドに雇用されるに至ったことが認められる。しかし、そうであるからといって、原告のアドへの入社が、意図的にこれまでの経歴を秘し職場秩序を乱してそれを理由に解雇されることによって和解金を請求することを目的としたものであるとまで認めるには至らず、国民が有する裁判を受ける権利の重要性にかんがみると、単に右に認定された事実のみから、原告の本件訴訟の追行は不当なものであるとして、原告の損害賠償責任を認めることはできないといわざるを得ず、他に原告の本件訴訟の追行が不当であることを認めるに足りる的確な証拠はない。
六 結論
そうすると、第一事件及び第二事件のうち原告の別紙請求目録記載の請求並びに第三事件の被告アド及び同荒川の反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、同目録に記載された以外の第一事件及び第二事件の請求に係る訴えはいずれも不適法であるからこれを却下し、訴訟費用(反訴費用を含む。)の負担については民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 川添利賢 裁判官 星野隆宏)
(別紙) 請求目録
一 主位的請求
<1> 従業員の地位確認請求
<2> 昭和五〇年一月一四日から昭和五一年一月一二日までの賃金請求二八五万八一三四円とこれに対する付帯請求
<3> 昭和四八年九月分から同年一二月分までの未払超過勤務手当九万八〇三八円とこれに対する付帯請求
<4> 右<3>のうち附加金四万三八二八円とこれに対する付帯請求
二 予備的請求
<1>ア 解雇予告手当一五万八四四四円及びその附加金等一五万八七二一円
イ 退職金等六二八九円
ウ 解雇による損害賠償請求のうち右一<2>における請求額二八五万八一三四円から右ア及びイの請求額を控除した二五三万四六八〇円に満つるまで(賃金支払期日の古い順に)の請求
及びこれらに対する各付帯請求
<2> 超過勤務手当の支払中止による損害賠償請求のうち右一<3>における請求額九万八〇三八円に満つるまでの請求とこれに対する付帯請求